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定年退職は始まり。元大手金融マンが語る「自身の強みの発見」

【兵庫県 Yさん 63歳 大手金融関連 → 某官庁講師、営業、セールスコピーライター】
定年後は関連会社で管理職に。嘱託で今の部門で何年か。人生100年時代、そんな悠長なことを言っていられる時代は終わりました。大手企業をはじめ早期退職制度が増えていく中、定年後の人材活用は益々狭き門となりつつあります。定年を迎えるにあたって何を考え如何に行動していけばヤリガイある仕事に繋げられるのか。今回はある大手金融を定年された方の体験談です。

「警告! 会社人生に満足している人は、これを読まないでください。」

定年退職して3年半。
人生でもっとも仕事にやりがいを感じている。「次に何をしようか?」とワクワクする気持ちは、間違いなく今が一番強い。5種類の名刺を持って、新しい仕事に挑戦中だ。
しかし、もともと僕は努力家ではない。
同時並行で複数の仕事が出来るほど、器用だったわけでもない。大学時代はマージャンと酒にあけくれる毎日。ひたすら意味のない時間を過ごした。「何かしたいこと」を探したわけでもなく、運よく受かった金融機関に就職。

サラリーマン時代

与えられた仕事を真面目にこなす、サラリーマンの典型のような会社生活。目標数字を超えるために、必死に努力した。遣り甲斐のある仕事もした。一方、やりたくない仕事を命じられたこともある。気が進まず締め切りギリギリになって、慌てて仕上げたことも多い。
そのような僕でも38歳で管理職になった。
管理職として、部門の責任を負う日々が始まった。その後、海外現地法人の代表や、営業部門の部長を歴任した。リターンとリスク、アクセルとブレーキ。どこに軸足を乗せるか、悩みながらパフォーマンスの向上を目指した。正直、会社に対して貢献してきた自負はある。しかし、会社という大きな看板があったから、僕の能力が発揮できたことは間違いない。
当時、僕の同僚がこんなことを言っていた。「今の仕事では満足できないが、転職する気にはなれない」「心身ともに疲れたが、家族のことを考えると現状を維持するしかない」「大きな組織の中の小さな歯車に過ぎない」と。
よくわかる。実は僕も似たよう思いを持っていた。「自分ファースト」の上司に仕えたときは尚更だ。「このままではいけない、何かを変えなくては」と思っていたが、転職や起業といった大きな方向転換に踏み切れなかった。
同じ場所に留まる違和感があったが、自分の市場価値を試してみることはなかった。能力がどれくらい評価されるのか。僕の時間がいくらで売れるのか、マーケットに出さずに時が過ぎた。そもそも高値で売れる自信はなかった。
幸か不幸か、金銭的にも精神的にも会社から独立する勇気はなかったのだ。
時間は残酷だ。鴨長明が方丈記に書いたように「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」何をしていても、あっという間に時間は過ぎる。そして定年退職が視野に入ってきた。
そこでサラリーマン生活を思い出してみた。残念ながら、何かに取り憑かれたように仕事をした経験はあまりなかった。

定年準備

「何かが変わった」のは、定年準備を始めるようになってからだ。
「定年前になってやっと?」と驚く人もいるだろう。たしかに遅かったかもしれない。37年間の会社生活の終わりを意識して、初めて「何かが変わった」のだ。
人生100年時代と言われ始めた。僕はいつまで生きるかわからない。それは誰にもわからない。でも人生100年というのであれば「長寿をなんとかして恩恵にしたい」と思った。一方、長寿は大きなリスクにもなる。健康であったとしても、経済的な問題に関して不安は尽きない。そこで「独自の強みがあれば、人生100年時代を生き抜く原動力になるのでは?」とふと考えたのだ。
最初に決めたこと。それは、再雇用制度は利用しないということだ。
独自の強みを見つけるために、会社に残るという選択肢を捨てた。つまり、定年準備を始める時期になって、やっと自分と真剣に向き合い始めた。
「独自の強みとは何か?」と、四六時中そればかり考えるようになった。
僕はそれまで考えたことはなかった。しかし、定年退職という外部要因が、僕に変化と成長を促す機会をくれた。ラッキーといえるだろう。予期しない経営破綻のような外部要因で、突然キャリアの方向転換を余儀なくされたわけではないのだから。時間的余裕があったことは、僕にとってラッキーだった。

独自の強み

もし独自の強みがあればどうなるか?自分なりに3つ答えがでた。
1つ目は、「独自の強みは、サバイバルのための究極の保険になる」ということ。
なぜ、保険に加入するのか?それは安心感を求めるからではないか?
何か予想外のことがあったときにどうするか。例えば、会社が破綻したとき、いつでもどこでも転職できる「独自の強み」があれば安心できる。不幸にも他人に騙されて財産をすべて失ったとき、「独自の強み」が明日から収入を得る手段になる。
採用面接で「御社には私が必要です。なぜなら御社の弱みとしている分野は、私の得意分野です」と答えることができる。そこで、断る経営者がいるだろうか?
働き続けることができれば、生き残ることができると考えたのだ。
2つ目は、「強みを活かした仕事はとにかく楽しい」ということ。
僕にしか解決できない仕事があったとしたら、どうだろうか?もちろん世界で僕一人とは言わない。少なくとも、「あなたしか私の問題を解決してくれる人はいない」と周りから評価されているとしたら?「人の役に立つ仕事」であれば間違いなく楽しいはずだ。
3つ目は、「独自の強みを磨き続けるのに、苦労はいらない」ということ。
自分で見つけた独自の強み。だが、それは原石だ。未熟で人の役に立てないという不安がある。もしそうであれば、不安を解消するためにどうするか?その強みの原石を磨き続けるしか方法はない。
これは意外と簡単だ。というのは、強みをブラッシュアップしていくための勉強や実践は、誰でも時を忘れて夢中で取り組むからだ。人からやらされているわけではない。自分で探して自分で「独自の強み」と決めたわけだから、苦労とは思わないはずだ。

独自の強み(原石)を発見する方法

僕は人生100年時代をワクワクしながら生き抜くために、独自の強み(原石)を探すことにした。定年まであと2年。しかし、なかなか見つからない。原石は輝いていないのだから当然だ。そしてやっと「強みとなる原石」の見つけ方がわかった。
どのようにして独自の強みを見つけたのか?
1つ目は、「人から褒められたこと」を思い出したことだ。
社内のセールスマン向けに、営業スキルについて3か月毎に話していたことがある。受講者から「話が面白くて、とても為になる」と感想文に書かれることが多かった。なので、「ひょっとしたらプレゼンに向いているかもしれない」と講師業に挑戦することにした。
2つ目は、「続けていて楽しかったこと」を探した。
社内の2000人のセールスマン向けに毎週1回ブログを書いていた。読者から「毎週読むのが楽しみ」という言葉を聞いた時、これは本当に嬉しかった。人から褒められたこと以上に、「今週はどのような話題を書こうか?どのような素材が読者の役に立つか?」を考えて書くのが楽しかったのだ。楽しいことであれば継続できる。書くことを習慣化できると考えた。そしてライティングを僕の強みにすることに決めた。
3つ目は、強みを探す過程で子供のときから持っていた資質(プレゼンやライティングというスキルではなく)に気がついた。何に気がついたのか?それは、僕の強みは「好奇心」ということ。
一旦あることに興味が湧くと、いくつもの好奇心が連続して生まれる。そうすると、それら好奇心の隙間を埋めたくなる。つまり勉強する。これは人に備わっている資質のようなのだ。勉強嫌いの僕でも興味があることは夢中で勉強できる。

画像はイメージです。写真提供PIXTA

こんなことを書くと「私にはそんな独自の強みなんてない」という声もあるだろう。
果たしてそうだろうか?もしあなたが独自の強みを見つけたいなら、このように自問してみよう。
「あなたが自分で得意だと思っていること」「自分では気が付いていないが、人から得意だね、と言われること」は何だろうか?
「やることが楽しくて、夢中で時間を忘れること」は何だろうか?「人がアドバイスを求めること」「何か褒めてくれたこと」「人よりうまくできること」は何だろうか?
このように自問していくと、独自の強みの原石を見つけることができるのではないだろうか?僕でも発見した。つまり誰でも探し当てることができるはずだ。

定年退職は始まり

そして定年を迎えた。定年退職は終わりではない。実は始まりなのだ。
僕はマインドを「始まり」にセットして、強みの原石を磨き始めた。60歳にもなって、やっと。
でも、やってみる価値があると思った。やってみる価値があっても時期を待っていては、永遠に機会を失うのだから、今から始めようと。
定年後、既に持っていた人脈をベースとした対面による営業の仕事を始めた。これは今も続けている。対面による営業をしながら、同時に独自の強みを磨き続けた。つまり、プレゼン能力とライティング能力を「強み」にする作業だ。
幸いご縁があって講師の仕事を見つけた。もちろん、お金を貰えるようなプロとしてのスキルはなかった。
準備期間があったので必死でプレゼン関連の本やビデオで勉強した。
ボイストレーニングの学校にも通った。さらに毎月2回ペースで講演会に参加して、様々な講演者の話を聞いた。
このように強みを必死で磨いた。これは徐々に形になり「人の役に立っている」という実感が持てるようになった。
そして、プレゼンは僕の強みになった。年間1000名の前で講師をしている。受講生から「多くの示唆に富んだ話から今後の指標とすることができた」「淀みない講話で飽きさせない」「大変理解しやすく考えさせられた」と嬉しい感想を貰っている。
さらにセールスコピーを書く仕事に挑戦している。
これは正直言うと、未熟だ。勉強すべきことが山のようにある。
負け惜しみでいうと「成長の余地」が大きい。しかし、完璧になってからセールス・コピーライターになろうとすると、永遠になれない。だから今、僕は「セールス・コピーライター」と名乗っている。逆に言うと、名乗っているから「僕はセールス・コピーライター」なのだ。5種類の名刺の中で、最初にライターの名刺を出すことにしている。
このように僕は定年目前になって強みを意識した。
一方、僕の周りに50歳から独自の強みに着目してきた友人がいる。
一人は、某官庁の高官。50歳からMBA取得に挑戦している。現在の仕事とは全く関係のない分野だ。現業が忙しい中、300万円を払って必死に勉強。退官後にコンサルタントとして独立したい、と夢を語っている。
もう一人は、同じ会社の後輩。強みは「築き上げた人脈」だ。彼はこの人脈を、定年10年前から時間をかけて作り上げてきた。そして定年と同時にビジネスマッチングを開始し成功している。
このように転職や起業といった大きな変化を求めないで、今ある場所に軸足を置いて「強み」を磨く方法もある。その結果、もし独自の強みを持つことができれば、今働いている会社でその強みを活かせばいい。活かせないのであれば、転職や起業を模索すればいいのではないか。
つまり「次にどうするべきか?」を自問して準備を始めることが大事だ。もちろん準備は早いに越したことはないが、「思い立ったが吉日」でいい。僕はそれが定年前になった。

意識の変化

さて僕の意識はどのように変わったのか?
僕は定年前、いわゆる軽い「サザエさん症候群」だった。つまり、日曜日の夕方に「明日から会社か、、」と暗かったのだ。しかし僕は変わった。
最近、朝が来るのが待ち遠しい。友達や家族から「変わったね。なんか活き活きしている」と言われる。仕事をとても楽しい気分で続けている。これからもワクワクしながら仕事ができる自信がある。
一方、世間ではこのような声がある。
「安定した雇用というのはすでに幻想でしかない」「会社への忠誠心は何の保証にもならない」「大企業でも倒産する」「中小企業も不安定だ」
確かにそうだろう。楽観的な材料を見つけることは難しい。
しかし僕にもう不安はない。定年退職したから言うのではない。サバイバルできる能力を磨き続ける限り、安心できるからだ。自信が持てるからだ。何かに取り憑かれたように勉強し、アウトプットする分野を探す。こんな好奇心を満たす日々が送れるとは思ってもみなかった。「独自の強み」を探し始めて、すべてが変わったのだ。

最後に

NHKの番組を観ていて感動した「桑田ミサオさんの言葉」を紹介したい。
「あなたの餅でないとダメなの!と客から言われたら、やる気がでるでしょう」
彼女はなんと92歳。毎日6時間かけて笹餅をつくり、自分で電車の中で販売している。75歳で起業したとのこと。
僕も30年後に独自の強みを活かしながら、人の役に立つ仕事をしていたい。
最後に、ここまで読んでくれたあなたに「感謝!」とともに一言。
「あなた独自の強みは、人生100年時代を生き抜く原動力になる!」としたら、
「独自の強み」を築き上げることに、今から挑戦してみてはいかがでしょうか?
以上


【質問1】Yさんにとって仕事とは
「時間の無駄」にもなれば、「遣り甲斐」の源にもなる。
【質問2】キャリアオーナーシップについて
不勉強なので、初めて聞いた専門用語。もし「原因論」ではなく「目的論」がベースであれば、自分に対する厳しさが求められる、と理解しました。