高度経済成長期を支えた日本型経営の特徴として上げられるのが、年功序列による人事制度です。年功制または年功序列制と呼ばれ、終身雇用、労働組合とともに日本型経営の「三種の神器」と呼ばれています。
この制度は
「年齢や勤続年数など企業内での経験を重ねる毎に、知識やスキル・業務遂行能力が高まり、成果を上げることで業績への貢献が上がっていくことが当然だ(全員均一に)」
と言う考え方を元に作られています。
当時はメーカーを初めとする製造業が産業の中心であり、ベテラン社員達の修練された技術が会社を支えた時代。
若い社員たちは、個人の業務量や成果に見合う評価、報酬が得られなくても、終身雇用で長く勤め続ければ誰でも年功によって昇給昇進していたため、社員のモチベーションや会社への帰属意識は安定したものでした。
さらに年功制では、能力評価を多く含まないため、年齢や勤続年数が同じなら昇給や昇格・昇進にほとんど差がないのが特長です。
もちろん時代が変わり、産業構造全体が変革の時代になった現在では、この年功制の見直しを行う企業が増えてきていますが、残念ながら未だ人事制度の軸としている企業も多く、役所や公務員などに至っては制度についての議論さえ出ない状況です。
企業の事業拡大が、社員数などの規模拡大路線から社員個人の生産性追求に向かい、経営のスリム化や事業構造の改革が謳われる中、年功制による中高年層の人件費の高騰やポスト不足が「黒字でもリストラ」が行われる大きな要因になっていることはご存知の通りです。
さらにグローバル化、IT化などビジネス環境の変化、スピード重視の事業戦略に、時間と年数をかけたスキルの習熟はそぐわず、年功制のデメリットの一つとしてよく言われる「チャレンジ精神やモチベーションの低下」も若手社員や組織への悪影響を及ぼし、一部では「年功制と終身雇用は企業の競争力をそぐ」とまで言われています。
しかしながら年功制は今の時代に合わないと一概には言えません。
年功序列でなく年序列の実際
そもそも「年功」とは、長年にわたる「功労や功績、積み重ねられた経験、習熟した技術」と言う概念です。
ですからその企業が必要とする知識や技術を持ち、それを活かしての功績(成果)が上げられているのなら、評価はおのずと高く、昇給昇進の評価に値するものです。
もちろん、時代やマーケットの変化に即した知識やスキルであることや、昇格し任された事業や部門の成果を上げていることが評価の対象です。
しかしながら企業が、生産性に合わない高い人件費で余剰人員であると判断するのは、そうでないからでしょう。
- 今の時代に通用しないであろう昔ながらの知識や技術に固執。
- 積み上げられた経験、成功体験から抜け出せない価値感
- 目に見えて上げられない成果、功績
こういう人たちは、巷で若手会社員たちから「使えない上司」と揶揄され「業績は低いがプライドだけは高い」と皮肉られて当然かもしれません。
それはまさに「年功序列」ではなく「年序列」。「功」は過去のものであり現在のものでは無いからです。もしかしたら「功」が全く無かった方もいるのではないでしょうか。
一方で、現代の大学生の就活に於いて、就職するなら「年功序列的な人事制度の会社がいい」と答えた学生は半数に上がり安定志向が高いと言います。
公務員ならともかく(公務員も今後解りませんが)、年功序列的な人事制度の会社が今後どうなっていくか、安定がずっと続くものなのか、さらには彼ら自身が時代に合った技術、スキルをその都度習得し、毎年のように功績を上げられるのか。
「安定」をキーワードにする彼らもまた、何年後に年序列で同じ立場に立ってしまうのかもしれません。
日本の企業では益々減っていくだろう終身雇用と、この年功序列的人事制度。
年功序列的な会社に残る人も、それが嫌で別のステージに進む人も共通して言えることは、
■ 培ってきた経験や知識だけに頼らず常に新しいものを取得する気持ち
■ それらが目に見える成果、功績として常に会社に貢献すること
このことを強く意識して、進んで欲しいと思います。
(編集部)
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